
はい! マナビトです。今回の参考書籍はシリーズ600万部の大ベストセラー「嫌われる勇気」です。フロイト、ユングと並ぶ心理学三大巨匠の一人、アドラー。そのアドラーの心理学を哲人と青年の会話で分かりやすく解説している本書。まだ、読んだことのない方、読みはしたけど忘れてしまった方へ向けて本ブログでは要点を絞ってさらに分かりやすい解説を試みようと思います。それでは、いってみましょう!
前回のかんたん振り返り
前回のテーマは『あなたと他者の課題を切り分けて、良好な人間関係は築けるのか?』でした。
良好な人間関係というのは、どういったものでしょうか? 例えば相手と目を見て話しているとします。その時、相手に近すぎると全体像が見えませんしパーソナルスペース内だとよほどの仲でないと居心地は良くはありません。また、逆に遠すぎると声も手も届かず、目を見る・表情を見ることもままなりません。大事なのは距離感でしたね。詳しくは過去記事をご覧ください♪ 今回のテーマは『嫌われる勇気 自由とは他者から嫌われること』です。早速、一緒に学んでいきましょう!
アドラー心理学 他者からの承認を求めると不自由になる

前回も思ったのですが、アドラー心理学ってやっぱり人間関係においてドライ過ぎませんか? 絆のことを見返りを求めているだの、他者からの承認を求めるなだの、自分と他者との課題を分離しろだの・・・私には合わないかもしれません。もっと自由でいたい!

ほぅ、マナビトさんは自由でいたいのですね。では、なぜ他者に承認を求めるのでしょうか?

ん〜やっぱり誰かに喜んでもらいたいからじゃないでしょうか。他者の求められることに応えることによって、自分の立ち位置というか進むべき道標のようなものになるんではないでしょうか。

なるほど、それはたとえ他者が決めた道でも、自分が本当は進みたくない道でも他者の希望に応えることが自分の生きる道だと。そうすれば他者に喜ばれるし、好かれるからと。

そうですね♪ うん、それがしっくりきます! 他者に喜ばれる、好かれるというのは良いことではないですか。

というと、マナビトさんは誰かに認められたいというより、誰からも嫌われたくないということでしょうか?

そりゃー、嫌われたくないですよ!
マナビトは「他者の求められることに応えることによって、自分の立ち位置というか進むべき道標のようなもの」と言っています。これは、他者の希望を叶えようと生きることですが、確かに生き方の道標になるかもしれません。しかし、それは常に他者の目を気にして生きていくこととなり不自由な生き方です。
他者からの承認を得て不自由に生きるのか、それとも承認はないが自由に生きるのか。大きな分かれ道ですね。
誰からも好かれる生き方は可能なのか

他者に喜んでもらえる生き方をすれば、可能ですよね?

では、あなたの周りに100人の他者がいるとします。あなたは100人全ての希望を叶える生き方ができますか? 全員に好かれるでしょうか?

テツヒトさん、極端ですよ! 人が悪い!!!
誰からも好かれる生き方というのは大きな矛盾があります。テツヒトさんが言ったように「100人全ての希望を叶える生き方ができるでしょうか?」例えば、あなたにAさんは海で働いてほしいと願っている、Bさんは山で働いてほしいと願っている。どちらかしか選べませんよね。そんな時、希望を叶えようと「できる」と約束をしたり、取れない責任を引き受けたりとその場凌ぎの対応になります。自分の人生を他者の希望を叶えるという他人任せにしてしまうと、自分にも他者に対しても嘘をつき続ける生き方になってしまうのです。
他者はさておき、自分勝手に生きるということ?

自分にも他者にも嘘をつき続ける生き方なんて嫌だーーー! じゃ、自分の思い通り、自分勝手に生きれば良いのですね!?

自分と他者の課題を分離することは、自己中心的になるということではありません。逆に「他者の希望を叶える」と他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想です。

ぐぬぬぬぬ・・・ じゃ、どうすれば本当の自由を手に入れられるんですか!!
アドラー心理学 本当の自由とは

他者の課題に応えるのは不自由、かといって自分勝手ではいけない。じゃ、どうすれば良いのでしょうか!

マナビトさんは近代哲学の巨人カントの「傾向性」という言葉をご存知ですか?

傾向性??
【傾向性】 本能的な欲望、衝動的な欲望
他者から嫌われたくないと思うことはカントの言うところの傾向性です。つまり「嫌われたくない」と言うのは人間の本能的な欲望です。では、本能的な欲望である傾向性のおもむくままに生きることが本当の自由でしょうか? それも違います。それは欲望や衝動に駆られているだけです。
本当の自由とは傾向性にあらがうことなのです。
嫌われる勇気

本当の自由は傾向性にあらがうこと? 何だか難しいぞ。本当の自由は欲望や衝動に抵抗すること?? つまり??

他者に認められたいという承認欲求というのは、人間の自然な欲望でしょう。傾向性ですね。その欲望のまま流されるあなたは「本当の自分」と言えるのでしょうか?
あらためてアドラー心理学の考えを確認しましょう。
すべての悩みは、対人関係の悩みである。 私たちは、対人関係から解放を求め自由を求める。しかし、宇宙でただ一人の存在となることは絶対にできない。
自由とは、他者から嫌われることである。
嫌われろ! ではなく、嫌われることを怖れるな

自由は嫌われること!!? 衝撃的な結末!!

嫌われること、そう簡単なことではないですよね。嫌われたくないという傾向性が人間にはあるのですから。

テツヒトさんは、それでも私に嫌われろと?

嫌われろ! では無く、嫌われることを怖れるな。自分と他者の課題を分離して、自分の課題に集中して自由を手に入れようと言うことです。
本当の自由を手に入れようとするとコストがかかります。対人関係に自由を手に入れるコストこそが「他者から嫌われること」なのです。
本当の自由とは、「他者の評価を気にすることなく、嫌われることも怖れず、承認されなくても良いというコストを払い、自分自身の生き方を貫くこと」なのです。

本当の自由を手に入れるのは、シンプルだけど簡単ではないですね。自分自身の芯がないと、とても適応できない。誰だって好かれたいですし、認められたいでしょうから。自分を貫くためにはもっと色んな考え方を知らないといけないですね。

マナビトさん、それは「自由は簡単ではない」と言う目的のために、「自分を貫くためにはもっと色んな考え方を知らないといけない」と原因を作り出している目的論ですね。もう一度、最初から過去記事を深く読み返してみてください。

オヨヨ〜
過去や経験は関係なく、人は今この瞬間に変われる。ライフスタイルを変えることができるのです。「嫌われる勇気」を持った時、対人関係は劇的に変わり軽くなるでしょう。
アドラー心理学 まとめ
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。私自身、まとめようとして結局「自由は簡単ではない」と言う目的のために、「自分を貫くためにはもっと色んな考え方を知らないといけない」と原因を作り出している目的論に囚われてしまいました。アドラー心理学、ちゃんと理解するにはもう一度読み直した方が良さそうです(汗)しかしながら、読後とその前では考え方は変わってきており、自分と他者の課題の分離を意識するようになりました。そうすると、今まで無駄に背負っていたものも見えてきて、少し下すことで。ちょっとずつですが、自分の中に咀嚼していきたいです。あなたはアドラー心理学、いかがでしたか? 人は今この瞬間に変われる勇気の心理学、楽しんでいただけたら幸いです。最終章は参考書籍「嫌われる勇気」をお買い求めください。
それでは、また!
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