アドラー心理学 普通であることの勇気            

ハイ! マナビトです。今回の参考書籍は大ベストセラー「嫌われる勇気」の続編! 国内合計307万部、世界合計700万部の「幸せになる勇気」。フロイト、ユングと並ぶ心理学三大巨匠の一人、アドラー。アドラー心理学を哲人から教わった青年はその後アドラー心理学を実践し、3年後哲人を再び訪ねるのですが、アドラー心理学は理想論であって実践的ではない! ペテンだとまくし立てます。そこで、哲人は言います。「多くの人々はアドラー心理学を誤解している」と。まだ、読んだことのない方、読みはしたけど忘れてしまった方へ向けて本ブログでは要点を絞ってさらに分かりやすい解説。それでは、いってみましょう!

前回のかんたん振り返り

前回のテーマは『なぜ、ほめてはいけないのか?』でした。

競争原理の中に身を置くと、「他者は全て敵!」「周囲の人々は隙あらばわたしを陥れようとする油断をしてはならない相手」というライフスタイルを身につけてしまいます。また、ライバルと呼べる友は非常に大事です。しかしながら、そのライバルと競争する必要は一つもなく、競争もしてはいけないのです。

アドラー心理学の提唱する「横の関係」を築くには、ほめたり叱ったりされることを目的とする競争原理ではなく、他者と協力する協力原理が不可欠なのです。だからこそ、競争原理を生む「ほめてはいけない」という原則を追求するでしたね。

詳しくは過去記事をご覧ください♪ 今回のテーマは『普通であることの勇気』です。早速、一緒に学んでいきましょう!

アドラー心理学は「人は例外なく子ども時代は劣等感を抱えて生きている」を前提とする

マナビト
マナビト

人は例外なく子ども時代は劣等感を抱えて生きている? 例外なくですか!? 子どもの頃から優秀な人は優秀なので例外なくというのは言い過ぎではないでしょうか?

テツヒトさん
テツヒトさん

ええ、例外なくですよ。人は心の成長が身体の発達より早いのです。つまり、頭で考えている事を自由に身体で表現することができないのです。

心理面と肉体面の発達にギャップがある。それは、心では「やりたい」と思っていても体は「できない」ということ。「思っていてもできない」これは「自らの不完全さ」を経験する子どもたちは、原理的に劣等感を抱いてしまうということなのです。

マナビト
マナビト

なるほど、スーパーマンじゃなきゃ生まれてすぐに重い物を持ち上げたり、飛んだり跳ねたりできませんもんね。普通は。

子どもは不完全な存在です。それは人間的に不完全というわけではなく、心の成長に体が追いついていないのです。大人も子どもも対等ですが、大人は肉体的な不完全さをみて子どもを対等な人間ではなく、「子ども扱い」をするのです。

マナビト
マナビト

本来は、大人も子どもも対等な人間なのに、大人は子どもの肉体的な不完全さをみて対等に扱わない。そこに子どもは劣等感を抱く。なるほど、確かに。

アドラー心理学 劣等感、弱いからこそ共同体を作り協力関係を築く

テツヒトさん
テツヒトさん

劣等感を抱いたり弱かったりすることは、悪いことばかりではありません。むしろ人間は本能的にどう在りたいかが分かるヒントになり得ます。

マナビト
マナビト

劣等感や弱さが、人間は本能的にどう在りたいかのヒントになる!? どういうこと??

原始、人間はその弱さゆえに共同体をつくり、協力関係のなかを生きています。マンモスを狩猟する際に一人で立ち向かうのではなく集団で狩りをしていたことを想像すれば協力関係のなかを生きるということはイメージしやすいでしょう。人間は何も仲良くしたかったのではなく、単独では生きていけないほど弱かったのです。その弱さゆえに社会を構築したのです。

孤立した人間は心の安全まで脅かされる

人間は本能的に「独りでは生きていけない」ということを知っています。だからこそ、他者とのつながりを求めて続ける。すべての人は共同体感覚を持っており、アイデンティティと深く結びついているのです。

マナビト
マナビト

共同体感覚を持っており、アイデンティティと深く結びついている。難しいです。ちょっと何を言っているのか分かりません。

テツヒトさん
テツヒトさん

人は弱いからこそ共同体を作り協力関係のなかを生きています。そこでのつながりは生きる上で重要なこと、だからこそ「他者とのつながりを求める」。人は例外なくその感覚を持っています

共同体感覚について、少し掘り下げてみましょう。

【共同体感覚とは】
・対人関係のゴールであり、アドラー心理学の鍵概念。
・他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること。
・幸福なる対人関係のあり方を考える、もっとも重要な指標。
・自己への執着を他者への関心に切り替えていくこと。
テツヒトさん
テツヒトさん

孤立してしまうことは、自分の居場所がない、幸福なる対人関係から離れることになり心は安全ではいられないでしょう。

アドラー心理学 普通であることの勇気

マナビト
マナビト

なるほど、独りでは生きていけないと本能的に知っているから他者とのつながりを求める。そうか、じゃ特別な存在になれるように頑張るぞー! おう!!

テツヒトさん
テツヒトさん

マナビトさん、特別な存在になる必要はありません。それは誰かに認めてもらいたいという終わりなき承認欲求です。もし、他者に認めてもらえなければ「共同体のなかにいられない」という思いから永遠に承認を求め続けなければならないのです。

マナビト
マナビト

永遠に!? それは嫌だー。どうすれば、良いですか?

テツヒトさん
テツヒトさん

他者の承認を求めるのではなく、自らの意思で自らを承認するのです。

「わたし」の価値を他者に決めてもらうことは他者に「依存」することになります。そうではなく、自らの意思で自らを承認する。これを「自立」と言います。

マナビト
マナビト

いやいやいや、そうは言ってもみんながみんな自分に自信がある人ばかりではないですよ? 私は私を承認する!! って思うよりは「私なんかどうせ・・・人と比べて秀でていることはない普通だし・・・」と後ろ向きに考える人もなかにはいます。

テツヒトさん
テツヒトさん

人と比べるというのは、他者の価値観を生きていることに他なりません。また、普通であることは恥ずかしいことでもありません。平凡な自分をその他大勢の普通と受け入れることが重要です。

「私なんかどうせ、・・・人と比べて秀でていることはいし普通だし」という考えの根本には、「普通であることの勇気」が足りていないのです。「特別な私」である必要はありませんし、「その他大勢」と言われてイラッとしたり残念に思ったりするということがあれば、称賛の要求や注目喚起など問題行動の5段階の枠内で生きているということなのです。

「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くことが重要です。それは、自らの考えによって「わたしは他者に貢献できている」と感じた時こそ、自らの価値を実感できるのです。

アドラー心理学 まとめ

最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。普通・平凡・標準的・・・私はそう言われたり感じたりした時は残念な気持ちになっていました。それはひとかどの人物になりたい! という称賛の要求や承認欲求があったのだと思います。「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を読んで自分が囚われていた感情に気づきを得ることができました。人生はシンプル。そう在りたいですが、まだ勉強が必要。「これからどうするのか」と今に集中していきたいです。引き続き、あなたと一緒に成長できれば嬉しいです。

それでは、また!

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