
はい! マナビトです。あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」のかんたん解説。今回は草薙龍瞬著書のベストセラー『反応しない練習』の解説します。仏教? 私には宗教はちょっと・・・という方、いると思います。しかし、ブッダの考え方は私たち日本人の生活習慣に馴染んでいます。例えば、「ありがとう」「おかげ」「安心」など仏教用語ですし、ビジネスではマインドフルネスの源流です。ストレスフルな時代に、ブッダの考え方は悩みが消えていき人生をシンプルに、ロジカルにしてくれます。
前回のかんたん振り返り
前回は『心の状態を「きちんと見るだけ」で』です。心の状態を見るには3つの方法があります。
【心の状態を見る3つの方法】
① 言葉で確認する。
② 感覚を意識する。
③ 分類する。
ムダな反応を静める絶大は効果がある。
そして、仏教とは、奇跡を信じる類の宗教ではなく「正しい理解によって、人間の苦悩から自由になる方法」というとても合理的な考え方でしたね。詳しくは過去記事をご参考ください! 今回は、第2章の良し悪しを「判断」しないの『ムダに判断していませんか』です。早速、学んでいきましょう!
「ムダに判断」していませんか

会社で失敗してしまいました・・・ 私はダメなやつです。どうしたものでしょうか・・・

ムダに判断していますね、マナビトさん。人が悩む理由の一つに「判断しすぎる心」がありますよ。

判断しすぎる心? どういうことですか? 考えるなということですか?

判断とは失敗したとか成功したとか意味があるとか無いとか、あなたの「思い込み」や「決めつけ」のことです。
不満、憂鬱、心配事、後悔など、判断することであなた自身でたくさんの悩みを作り出します。もし、ムダな判断をしなければ、悩みを生まれず心は軽くスッキリ! では、どうすれば良いのでしょうか。
「判断」で性格が変わる!?

私は、会社では頼られる存在でなければならないです。それが自分の価値だからです。

〇〇でなければならないという考えも判断ですね、マナビトさん。その思考は「完璧主義」だったり「頑張りすぎ」だったりする性格の源泉になるのです。また、「自分はダメな人間だ・・・」という自己否定のレッテルも判断です。
〇〇でなければならない、どうせ〇〇だ、自分は正しいなど、全部判断です。判断することによってあなた自身の性格も変わり、いかに判断があなたの人生に大きな影響を与えているのかが分かります。
なぜ、判断したがるのか?

人生に大きな影響を与えるのに、なぜ人は判断したがるのでしょうか? 何か良いことでもあるのでしょうか? それとも判断せざるを得ない事情があるのでしょうか?

なぜ、判断したがるのかは理由がありますよ、マナビトさん。
なぜ、人は判断したがるのか? ズバリ、2つの理由がありますので早速みていきましょう。
【人が判断したがる2つの理由】 ① 判断すること自体が「気持ち良い」 ② 判断することで認められた気分になれる
良し悪しや正誤を判断すると、「わかった気」になれて安心することができます。また、あなたの判断を相手に説明することで「確かにそうだね」と同意を得られた時、認められた気持ちという承認欲を得られるのです。

判断すると、「わかった気」になれて安心する、承認欲を得られる。別に悪いことでは無いと思いますが・・・

気持ち良いことだけであれば、判断も良いかもしれませんね、マナビトさん。しかし、判断は時としてあなたを苦しめることになるのです。
判断に対するその思いに執着しすぎると、自分か、誰かが、激しく苦しめられることになることがあります。例えば、自分が判断した頼られる自分でなければならないとした時。失敗したり、本当に自分自身が辛い時であっても弱みを見せることができなかったり、理想の頼られる自分になれていないと自己否定したりと自分が決めたルール・判断に縛られて苦しみ、悩むこととなります。仏教では、人には3つの執着があるとしています。
人は三つの執着によって苦しむ。①求めるものを得たいという執着(だがかなわない)。②手にしたものがいつまでも続くようにという執着(やがて必ず失われる)。③苦痛となっている物事をなくしたいという執着である(だが思い通りにはなくならない)。では、これらの苦しみが止むとは、どういう状態なのだろうか。それは、苦しい現実そのものではなく、苦しみの原因である”執着”が完全に止んだ状態なのだ。
サルナートでの五比丘への開示 サンユッタ・ニカーヤ
あなたが苦しみを感じる時、その心には必ず「執着」があるのです。
妄想 「ない」ものを「ある」と勘違いしてしまう

判断とは決めつけや思い込みで、一方的な想いや期待は執着ということは分かりました。でも、それは心にあるものなのでどうしようもないのでは?

マナビトさん、その判断も元々はあなたの心にあったものではないのです。例えば、頼られる存在でなければならないという判断は、あなたの過去の経験や学び、出会いという情報から得たものです。
恋愛や仕事、生活や将来の生活など必要な判断はあります。「決めること」で未来の見通しをよくすることができます。しかし、執着してしまうと苦しみが生まれます。なぜなら、決めていても現実は常に変わりゆくものだからです。この世は無常(常では無い)なのです。
そして「決めてしまった判断」というのも現実には頭の中にしか存在しない「妄想」です。例えば、恋人と別れたのに、その人との未来を想像することや仕事では当初は先端技術だったが時代の流れで陳腐化してしまったのにその技術に頼ることだったり。
判断、執着そして、妄想を手放す

私の思いというのは妄想だったのか〜。そう入っても頼られる人というのが理想でしたし、なかなかその思いを手放せません。

手放せない苦しみがあるのですね、マナビトさん。でも取り除く方法があるのですよ。「道」です。
仏教では、苦しみを取り除く方法をこのように表現しています。
道。
道 苦しみを生んでいる判断を手放そうという決意に立って、その「方法」を実践する
まとめ
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます! ラストはたったの2文字! 「道」でした。道とはすごく身近ですよね。書道、花道、茶道、剣道、柔道、空手道等、枚挙にいとまがありません。日本人は道を作るのが好きなんですね。決意と実践、それによって過去も、判断も、全てを手放す、ただ道を生きる。それによって、苦しみから自由になれるのです。宗教でよくある信じる者は救われるといったイメージとはずいぶん異なりますね。
決意と実践。自分でロジカルに行動ができますね。あなたも道を生きてみませんか。
それでは、また!
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