
はい! マナビトです。あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」のかんたん解説。今回は草薙龍瞬著書のベストセラー『反応しない練習』の解説します。仏教? 私には宗教はちょっと・・・という方、いると思います。しかし、ブッダの考え方は私たち日本人の生活習慣に馴染んでいます。例えば、「ありがとう」「おかげ」「安心」など仏教用語ですし、ビジネスではマインドフルネスの源流です。ストレスフルな時代に、ブッダの考え方は悩みが消えていき人生をシンプルに、ロジカルにしてくれます。
前回のかんたん振り返り
前回は『困った相手と「どう関わるか」』です。人間関係で苦しまない方法があります。それは「相手に向ける心を確立する」こと。理解し合うことが時間がかかりますので、急ぐ必要はありません。長い目で捉え、相手へのネガティブな感情は、理解し合えたときにリセットされるでしたね。詳しくは過去記事をご参考ください! 今回は、第3章のマイナスの感情で「損しない」の『“快”を大切にしていい』です。早速、学んでいきましょう!
“快”を大切にしていい

反応しない、反応しない、反応しない・・・

どうしたんですか? マナビトさん

反応しない練習です。

「快を大切にする」ことは重要ですよ、マナビトさん。幸せは人が皆願うことです。心の状態を見ると「幸せ」は”快”、「不幸」は”不快”となります。
「快を大切にする」つまり、幸せを願うことを反応しないということではありません。”快”と”不快”を確認しましょう。
快|喜びや楽しさを感じている心の状態が「幸せ」 不快|怒りや怖れ、満たされなさや不安などを感じている心の状態が「不幸」
“快”と”不快”は仏教だけのものではなく、むしろ原始的な感覚です。動物がエサを食べる時は快、危険に遭遇した時は不快です。人間を含む生き物全般は”快”と”不快”の反応の世界を生きているのです。複雑に感じる反応ですが、実は極めてシンプルです。
“快”か”不快”か
二者択一なのです。私たちはこの”快”か”不快”か二択を行ったり来たり揺れ動きながら生きているのです。だとすると、より良い生活のルールはシンプルです。
幸せになりたいなら、「快の反応」を大事にしよう。 不幸になりたくないなら、「不快な反応をしない」ように努力しよう。
快を追いかけても良い

快を追いかけていいって・・・今まで、あれだけ反応しない練習をしてきたのは何なんでしょう・・・ 快を感じる、快感を求めて良いということですよね? 仏教って言ったら、禁欲とか厳しい修行とか欲を捨て去るようなイメージなんですけど。

自分の”快”つもり欲求を満たすことは悪いことではないのですよ、マナビトさん。また、仏教のイメージですが、「心を清浄にする修行」を突き詰めていくと、
究極の安らぎである「心の反応が滅した”涅槃”という境地」を目指す厳しい側面も確かにあります。しかし、全員が全員”快”や”不快”も滅した境地を目指す必要はないのです。個人個人に目標設定があっても良いのです。大事なのは「どこへ向かうのかという方向性」を見誤ってはなりません。
「美味しい」「楽しい」「心地よい」など、欲求を満たされた時に”快”を感じます。幸せへの近道は、欲求を素直に否定することなく満たしてあげれば良いのです。
欲はダメなものなのか!?

欲は持っていいものなんですか? 承認欲など、どちらかというとマイナスイメージで語られてきたように思えるのですが・・・

欲も「活かし方次第」です、マナビトさん。確かに強欲であったり、認められたいという気持ちが強くなりすぎて不快になるのはダメですね。
欲求も大切にして良いのです。ただし、条件があります。本人が「快」を感じられる場合だけです。例えば、承認欲で「人に認められたい」「評価されたい」など感じた時、その欲が推進力となりチャレンジでき目指すことに”快”があるならすべきでしょう。しかし「なかなか認められない」「結果がでない・・・」と苦(不快)を感じたなら、仕切り直して考える必要があります。
まとめ
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます! 欲を持って良いとはどんでん返しですね。幸せはあなたの心がけ次第で増やすことができます。日々、心を感じてシンプルに考える。”快”なのか”不快”なのか・・・人間の心は揺れ動きますが意識を巡らせ感覚をつかみやることは一つ
快を増やし、不快を減らす。
たったそれだけであなたの気持ちも行動も方向性が定まり、スッキリとなるはずです。人生、楽しんでいきましょう! それでは、また!
さらに詳しく知りたい方は「反応しない練習」をお買い求めください。
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